カーネーション感想⑦
戦争では誰もが傷ついた。
糸子も大きな痛手を負った。
しかし大勢の家族や従業員を抱え、糊口をしのぐために、後ろを振り向いてメソメソしてる暇はなかった。
そんな中で出会った周防。
彼は長崎で被災し、原爆後遺症を抱えているという妻と、子を連れて、命からがら逃げてきたという。
二人が恋に落ちたのは終戦後3年ほど経った頃。
ようやっと一息つけた頃。
この二人とてこの恋が道ならぬ物だとわかっていて、どうしようもなかったんだろう。
しかし、私は結婚しているからか、こんな時、全く描かれていない周防の妻に思いを馳せてしまう。
足手まといになっている事で、一番傷ついてるのは妻だろう。
そんな自分を抱えて、慣れない土地で奮闘する夫。
糸子のところで働くのは自分のためでもあると思うと、何も言えず、ただ忸怩たる思いを抱えて日々生きてるのではないか。
戦争がなければ、長崎に原爆が投下されなければ、彼女は、もし夫の不貞があったとしても、体が自由に動く分、もっと柔軟に、能動的に生きられたはず。
戦争はあまりにもたくさんの人を傷つけすぎた。
このドラマは、戦闘や爆撃の描写は全くないまま、この事実をぐっと心に迫らせる。
脚本や演出の素晴らしさを実感するとともに、73年前のこの日に広島でおきてしまった惨禍を、改めて心に刻み続けたいと思う。
「笑点」木久扇さんの回答
今日見るともなしに「笑点」を見ていた。
途中から見たので正確なお題はわからないのだが、「この季節に思うこと」というようなテーマを、都々逸のようなリズムにのせて答える。
林家木久扇さんが当てられ、彼は「平和の大切さを思い返す」というような返答をした。
その時、ハッと思い出した。
去年だったか一昨年だったか、木久扇さんが報道番組に出た時、インタビューで戦争中の事を尋ねられ、答えていた事を。
「空襲警報が鳴るたび、当時8才9才ぐらいだった自分が、おばあちゃんの手を引いて逃げていた。おばあちゃんは速く走れないから素早く逃げられない。毎回物凄く怖かった。」
この話を聞いて、私は木久扇さんの恐怖を思って背筋が凍り、インタビュアーの夏目三久さんはこらえきれず涙を流した。
「笑点」は大喜利バラエティで、反戦を声高に叫ぶのは番組の主旨とは明らかに違うだろう。
そんな中で、大喜利の答えの中でちらっとその意思を伝えるのは、やはり彼が本当につらい思いをしたから、そしてもう誰にもあんなつらい思いをさせたくないから、ではないだろうか。
ふと思った。
あれだけ激しかった東京の空襲で、あれだけの被害があったのに、政府の要人が被害に遭ったという話は聞いた事がない。
庶民には「空襲に遭ったら逃げずに消火せよ」などという戯言を高圧的に言いながら、自分達は我先に頑丈な防空壕や地下室に逃げていたのだろう。
戦争を体験した人の高齢化に伴い、証言者もだんだん減っていく。
だからこそ木久扇さんの、大喜利の間接的な一言が貴重なメッセージで、受け手のこちら側が大切に心に留めていかねば、と、切に思う。
基本的人権や国民主権をないがしろにしようと目論む政治家がいるから、尚更。
若い美容師の卵たち
美容院に行くと、最近は同じ人ばかり指名してしまう。
「良きに計らえ」的な注文ができるからラク。
↑もちろん本当に言うわけではない^^;
しかしその人は注文を聞いてカットと仕上げをするだけで、他は若い美容師の卵たちに指示を与えて作業させる。
そこはチェーン展開している大きな美容院の支店で、今年も初夏あたりから新人さん達が店に出入りし始めた。
自分の息子とそう変わらない年の彼らは、シャンプーも、髪を乾かして軽くセットするのも、仕方ないけど下手である。
そして、お店からの指示なのか、ほとんど間を空けずに一生懸命話しかけてくれるのだが、年が親子ほど違うので、まあ話は合わない^^;
が、私は彼らの意欲を買って、なんとか会話が続くように、わからないならわからないなりで懸命に答えるようにしている。
だから施術が終わって美容院を出ると、気疲れしてぐったりしている自分がいるのだが、これは中年のおばちゃんとしての私の義務だと思っている。
ひょっとしたら、彼らを通して、近い将来の息子たちを見ているのかもしれない。
鈍臭くて人見知りで口の利き方もなってなくて……そんな息子たちもいつかは社会に出る。
その時に彼らのように、つたないながらも懸命に働いてくれるだろうか。
そんな不安を常に持っている母親の一人としては、やはり、彼らを応援せずにはいられないのだった。
4回目の西梅田劇場②
漫才、モタレはロザン。
ロザンの漫才をしばらく見てなかったのでびっくりした。
めっちゃベテラン風になってる!!
時事ネタでご機嫌を伺う姿など、余裕すら感じてしまった。
しかし、ベテランとまでは言えず、かと言って賞レース争いで切磋琢磨しているエッジの効いた漫才でもない。
こういう漫才も必要だし、こういう漫才を確実に観られるのが西梅田劇場の魅力だなと思う。
そしてトリはテンダラー。
もう言う事なし、です。
テンポは早めだけど万民にわかりやすく、毎回浜本さんの芸達者さに舌を巻く。
私から言わせれば、彼らはユニバに負けない「大阪の宝」です(^^)
最後は新喜劇。
次男の念願かかない、茂じい新喜劇!
辻本座長の新喜劇を生で観るのは3回目だけど、今回が一番面白かった!
やたら登場人物が多く、小さい子にはストーリーがわかりにくかったかもしれない。
しかし珍しく?伏線を張っていたり、普通と思われた登場人物が途中で悪役に転じたり、と、大人にも見応えがあったし、小さい子には小さい子にウケるような仕掛けも随所に散りばめられていた。
見終わった途端、「また観たい!」と言った次男。
私は新喜劇より漫才派だが、特にお笑い好きでもない小6にこう言わしめる新喜劇、やはり凄いなあ。
よしっ。また行こう(^○^)
4回目の西梅田劇場①
夏休みに入り暇を持て余す次男をつれて、よしもと西梅田劇場に行ってきた。
次男のお目当ては、辻本座長の新喜劇。
「できれば茂じいであってくれ」という次男の想いは届くのか⁈
先日、たまたま聴いたラジオで、すっちーが「今日の西梅田はお客さんが60人しか入らなかった」と言ってたので、同じ感じだったらどうしようとドキドキして行ったのだが、今日はだいたい8割ぐらいの入り。人数で言うと500人ちょいぐらいかな?
ほっとした(^^)
西梅田じゃないけど、キャパ500人ぐらいのホールに客10人、という状況を経験してるので、あの気まず〜い雰囲気はもう2度とごめんだと思ってた(^-^;
今日は、お客さんの人数は充分だったのだけど、どういう訳か最初に出てきた吉田たちが全くウケない。
トップ出番というハンデと、年配や家族連れが多い客層というのもあったとは思うけど、吉田たち自身もなんだか不調だった。
ネタの内容自体は悪くなかったと思うのだけど…。
ほんのちょっとした事でウケって変わってしまうんだなと、改めて実感。人を笑わせるのって、本当に難しいんだなあ。。
次はトット。
得意のボイスパーカッションが盛り上がった!
ボイパだけじゃなく、桑原くんは本当に芸達者で、何回観ても感心する。
そして大阪の若手ナンバーワン男前であるらしい多田ちゃんは、ちょっと天然で、感じがよくて爽やかで、若い女性から大人気らしいが、今後知名度が上がれば私より上の世代の女性にまで幅広く人気が出そうな感じ。
今後の飛躍が楽しみだ♪
次はモンブラン。
大道芸のお二人。かなりウケてた。
大道芸をやりながらちょこちょこボケるのだが、それが逼迫した状況なので、ちょっとした事が妙に面白い。
今日のお客さんにすごく合っていた感じ。
あっ、文章が長くなってしまった^^;
続きは次に。
「天才はあきらめた」を読んで思い出した事
南海キャンディーズ山ちゃんのこの著作を読んで、彼が若手だった頃の、15.6年前ぐらいのbaseよしもとメンバーの事を懐かしく思い出していた。
当時は乳児の育児に追われていた私。
劇場に観に行けない分、お笑い好きの後輩からの情報や、お笑いに詳しい方のブログ等、ネットの情報などを、今より懸命に収集していたと思う。
ある時、チュートリアルやフットボールアワー等がbaseよしもとを卒業し、新体制ができると知る。
誰かのブログから、新生baseよしもとのトップはトーナメント方式の戦いで決定するらしいと知り、その戦いにダイアンが優勝したと聞いた。
なのに、ふと気がついたら、baseのトップは、笑い飯、麒麟、千鳥の3組になっていた。
山ちゃんも本の中でよしもと側の理不尽な扱いについて少し記してあったが、私もこの一件で、よしもと内部で色々な理不尽があることを悟った。
M-1が始まって数年、大会の知名度も上がり、よしもとがM-1で活躍しているメンバーを推すのも無理はないが、ダイアンが気の毒だった。
しかしM-1を度外視しても、Wボケの笑い飯、岡山弁の千鳥、ストーリー展開が鮮やかな麒麟、3組ともその当時は誰も見た事のなかった漫才を繰り出し、強烈な個性を放っていた。
ダイアンは確かに面白かったけど、津田さんも今のようには弾けてなかった頃で、上記の3組ほどのインパクトはなかったように思う。
しかし上記3組がかすむほどの、さらに強烈な個性を持った男女コンビが登場する。
南海キャンディーズだった。
M-1で一躍ブレイクした彼らの活躍はもう全国のお笑いファンが承知しているだろう。
多忙になり、思うようなネタができず、翌年のM-1決勝では最下位になった彼らだったが、その後、上方漫才大賞では、麒麟を破って優秀新人賞に輝いている。
記憶が間違ってなければ、その時、しずちゃんがバスガイドで山ちゃんがお客さん、というシチュエーションのネタをしたと思う。
麒麟ファンの私だったけど、南海キャンディーズの漫才を観て「あ、負けた」と思ったのを覚えている。
ちなみに、上記の上方漫才大賞に関する記述は、山ちゃんの本の中では見当たらなかった。単にページ数の制約で割愛したのか、納得できない出来だったのか。。
しかし私には凄く面白かったし、何より唯一無二の漫才だと思った。
他の誰にも出来ない漫才。
「天才」と言っていいのかはわからないけど、山ちゃんもしずちゃんも、才能豊かであることは確かで、その上尋常でない努力も重ね、今のように全国区でも唯一無二のポジションを獲得したのも必然のように思う。
劇場で安定した人気を誇り、トリを取る事も多くなった笑い飯、
ここ数年で全国区のブレイクを果たした千鳥、
芸達者で漫才以外でも大喜利などで活躍し、東京でも安定した地位を築いた麒麟、
大阪では「最もチケットが取れない漫才師」になり、満を持して今年東京進出したダイアン、
そして、baseよしもとのトップを通り越してあっという間に全国区の人気者になった南海キャンディーズ。
他にもアジアン、NON STYLE、とろサーモンなど、あの頃baseよしもとで切磋琢磨していた漫才師たちが、今それぞれの場所で大活躍している。
この本を読んで久々にその頃の事を思い出し、ああ、あの頃の私は凄く貴重なものを目撃したんだなと思い、鳥肌が立ってきた。
私は多分、これからも彼らをずっと見続けるだろう。
あの頃はまるで想像できなかったダイアンのブレイクが見れたのだから、中年になり、やがて老年になる彼らが、これからどんな活躍をし、どんな風になっていくのか、本当に本当に、楽しみで仕方ない。
「天才はあきらめた」を読んで
南海キャンディーズの山里亮太さん、山ちゃんの、芸人を志してから今に至るまでの軌跡を記した著作。
本当に面白かった。
読み進めながら、山ちゃんの思いが伝染するように、笑ったり、泣いたり、呆れたり、嫉妬したり、忸怩たる思いになったり。
そして山ちゃんデビュー当時にはすでにお笑い好きだった私は、本のエピソードに出てくる時期ごとの笑い飯や、千鳥、麒麟、とろサーモン、ネゴシックスや、そして南海キャンディーズを懐かしく思い出していた。
「すごく面白い男女コンビが出てきましたよ!」
南海キャンディーズを知ったのは、お笑い好きの、私が学生時代属していた某大学柔道部の一年後輩からのメールでだった。
当時私は、子どもが小さくてとてもじゃないけど劇場には行けないし、深夜が多い若手のお笑い番組をすべてはフォローできず、周りでは数少ないお笑いファンの後輩が貴重な情報源だった。
とはいえ後輩も社会人として多忙な日々を送っており、メールの頻度はすっかり減っていた。
が、この情報だけは伝えたい!と、M-1 2004の前にメールをくれたのだった。
M-1はもちろん毎年欠かさず観ていたし、DVDも持っている。
こんなメールをもらって楽しみにしないはずはない!
私の中でかなりハードルが上がった状態で観たM-1の南海キャンディーズのネタだったのだけど、彼らは私のハードルを易々と超えてきた!
とにかく面白かった。そして新しかった。
ボソッと放たれるしずちゃんの突拍子もないボケ、そしてそのインパクトを超えてくる山ちゃんの表現力豊かなつっこみフレーズの数々。
しかしもちろん、この時の漫才が「易々と」作られたものの訳はなく、この漫才を生み出すまでに血の滲むような努力を重ねてるし、この時のM-1準優勝を機に飛躍的に活動の場が広がり、別の苦悩の日々が待っていた事が、本からまるで呻き声が聞こえてくるかのように書かれている。
仕事が一気に増えてクオリティが追いつかないという苦悩の他に、山ちゃんに待ってたのは「たいして努力もしないしずちゃんのみが売れていく」という嫉妬。
山ちゃんがこの本の前半部に散々書いている「劣等感をガソリンにする」という信念すら忘れてしまう苦悩の中で、引退を決意した山ちゃん。
そんな中で出演した千鳥、大悟さんのライブでは、周りのパスもあって「劣等感をガソリンに」にして大きな笑いを取り、大悟さんに「こんな面白いやつが辞めてええんか」と言われて引退を思い留まる。
ふと思い出した。
もう10年以上前になるのか、私は後藤ひろひとさんのブログを知ってからというもの、毎日のように楽しみに読んでいたのだが、その中で山ちゃんは「ジェラ男」という名前でたびたび登場した。ジェラはジェラシー、嫉妬のこと。
後藤さんは、山ちゃんは「嫉妬」が凄く、それが彼の最大の魅力だ、と書いていたのを覚えている。彼はそのままでいい、と。
「劣等感をガソリンに」した彼の才能や努力の結晶は、実はかなり早くから色んな人に認められていたようだ。
芸人さん達は、千鳥のような感性の発露そのままのような漫才を高く評価し、お客さんの笑いを取りに行くような漫才を低く見るような傾向があることは薄々気づいている。
でも双方ともそれぞれの良さがある。
前者の方が「上等」だとは、私は思わない。
芸人さんにとってはきっと、とにかく自分が見たい、やりたいと思う漫才をやることが、観客の爆笑につながるのが一番最高であるはずで、全然アプローチが違う千鳥と南海キャンディーズが、紆余曲折を経てそれぞれの理想形に近づいているような気がして、やはりこれからもお笑いシーンから目が離せそうにないな、と改めて思うのだった。