2歳の男児
山口県周防大島で行方不明になっていた2歳の男児が見つかった。
報道によると軽いすり傷ぐらいで大きなケガや衰弱はないとの事。
本当に良かった。
行方不明になった経緯を聞くと、2歳男児が祖父、兄と海に行く途中にぐずり、祖父は一本道だからと家族が滞在していた親戚宅まで約100m、2歳児を一人で帰らせたとの事。
そしてその途上行方不明になったのだが、2歳男児を育てたことのある人はみんな思っただろう。
2歳児を100mの距離を一人で帰すなんてありえない!と。
「魔の2歳児」がどんなに大変か。
ほんの一瞬手を離しただけで10m先に駆け出してる、なんて日常茶飯事。
しかもどこに行くか、何をするか、全く予想がつかない。
そして一般的に、女児よりずっと活発で、聞き分けが悪く、少しの時間もじっとできない。
それが2歳男児。
このお爺ちゃんはきっと、そういう事はわからなかったんだろう。
仕方ない。
けど、なんとか啓蒙できないものかとは思ってしまう。
夏休み、祖父母らしき人達と一緒に出かける子どもをよく見かけるが、子どもが突然駆け出しても、祖父母らしき初老の方々はまず追いかけない。
いや、体力的に追いかけられないのか?
何度か「危ない!」と思う場面に遭遇し、私が見かねて抱き上げた事もあったが、その反応は「頼んでもないのに余計なことして」感が、ありありと感じられるものだった。
この態度が祖父母世代全員だとは思わないが、なかなかに頑固で、子ども世代の忠告に対し聞く耳を持たない人は多い。
若い両親が我が子を見ていても、もちろん完璧にはいかず全く危険がないわけではないが、やはり祖父母世代の人達の、幼児の危険に対する認識はどうしても薄い。
とりあえずは、うるさがられても両親が祖父母に、熱心に話していくしかないのかな。。
そして私のような市井の人間も、小さい子に無関心にならず、微力ながら見守っていくのが大切だと思う。
不動産屋の大叔父
京都で不動産屋を営む大叔父がいる。
その大叔父には小さい頃から年一回ぐらい会う機会があったが、何の仕事をしているのかずっと知らなかった。
高校生ぐらいになって「あのおっちゃんは不動産屋」と聞いた時には驚いた。
よくある不動産屋の風景…「○○不動産」という看板が掲げられ、売買、あるいは賃貸の物件の間取り図が壁一面に貼られている…という一般的な不動産屋の外観を全くしていない。
ただ名字の表札がかかってるだけの、京都では一般的な町家だ。
大叔父はそこで、中古物件売買専門の不動産屋をしているのだが、看板を掲げずに商売しているのは、一見さんお断りだからだ。
そんな事で商売が成り立つのかと最初驚いたが、大叔父は昔から祇園祭に命をかけていて、祇園祭の一ヶ月ぐらいは全く仕事をしないのを子どもながらに知っていたので、まあ、あのおっちゃんならなんとかできるんだろう、と、妙に納得してしまった。
実際、京都の地の人達の横のつながりは半端なく強いらしく、地縁のある人達の紹介の物件売買だけで充分食べていけるらしい。
大叔父は母方の親戚なのだが、母のご先祖は少なくとも江戸時代には洛中に住んでいたらしく、つながりはずっと引き継がれているとの事。
羨ましいなあ。
まあ、ウザい事もいっぱいありそうだけど^^;
ところで、私が結婚するにあたり、母を通して大叔父に物件のアドバイスをもらったのだが、「素人に物件を見極めるのは絶対無理。僕は中古物件を扱ってるが、中古は絶対にやめろ。買うなら大規模ニュータウンの中の新築物件にしろ」との事だった。
たまたま巡り合わせがあり、大規模ニュータウンの中に建つマンションを買ったのだが、大叔父が言った事の意味を深く理解していた訳ではない。
だが、その意味が年々理解できるようになってきた。
先日、大きな水害があったので、近所のハザードマップを見直す事にした。
その時に自分の街だけでなく近辺の街もチェックしたのだが、大規模ニュータウンのある場所に浸水や土砂崩れの被害予想地域は一切なかった。
それに気付いた時、背筋がぞわーっとした。
大規模ニュータウンの物件は、中、小規模のニュータウンや旧市街の物件より、一般的に値段が高い。
しかし高い理由がちゃんとあったのだ。
私にとっては、たまに遊びに行くと「いずもや」の鰻を食べさせてくれる気前のいい「おっちゃん」は、歴とした不動産のプロである、という、当然といえば当然の事に気付いた瞬間であった。
プロの不動産屋として自分の目利きを頼りに腕一本で稼ぎ、他方、祇園祭という「趣味」のために平気で一ヶ月休める大叔父の生き方が、とても格好良く、とても羨ましく思えるのだった。
アキナ山名くんの書くネタ
なんで山名くんの書くネタはあんなにペーソスが漂うんだろう。
「文藝芸人」に載っていた書き下ろしも、高校生の日常が描かれていて、大きな悲劇はないのに、全体的に物悲しい。
去年のキングオブコントは、にゃんこスターの次の出順という「悲劇」に見舞われたが、ネタ自体はペーソスというより猟奇的、というのが第一印象だった。
しかし何回が見直すうちに、あのネタがだんだん物悲しくなってきた。
常人には理解できない言動をしてしまい、次第に周りの人達が遠ざかっていく。
本人は周りと仲良くしたい。だから自分を避け始めたバイト仲間に、言動に気をつけるから仲良くしてほしい、と懇願した直後、こう言ってしまう。
「秋山くんって、名字なに?」
最初怖かったこのオチが、今は悲しくて仕方ない。
本人にはまるで自覚がないのだから。
この人物はこの先ずっと、こういう事を繰り返して生きていくしかないんだろうか…。
これは「お金がない」とか「勉強ができない」とかを、はるかに超越する悲しみを含んでいて、架空のコントと言われてもつらくさえなってしまう。
ところで、アキナ結成前、山名くんがトリオ「ソーセージ」で活躍していた頃の彼らのネタは、もちろん全部覚えてる訳ではないけど、こういう物悲しさを感じる物はあまりなかった記憶がある。
以前、ネットのトーク番組で、山名くんは
「3人組になっていろんな設定ができるようになり、最初ネタがどんどん思い浮かんでいったのに、解散前はだんだん書けなくなってきていた」と言っていた。
全くの素人なのに「すごくわかる!!」と思ってしまった。
縛りがきつい方が、より自分の世界を投影する方に注力できる気がする。
昔、麒麟の川島さんも
「コントの方が自由だから最初コントを志向したけれど、縛りのある漫才の方が、実は色んな表現ができると気付いた」という旨の発言をしていたっけ。
ソーセージ解散は、彼らにとって青天の霹靂だったけど、コンビになる事で、山名くんはより自分の世界観を強く投影できるネタを作れるようになったのかもしれない。
人気者になって日々多忙に活躍しているアキナ、今年のキングオブコントはどんなネタを見せてくれるのか。
そして去年は予選敗退したM-1も。
生で見た彼らの、万人に伝わるように丁寧に伝えようとしていた漫才を私は忘れない。
今年も大きな期待を寄せています!
ちょうどいいブス
全然知らなかったのだけど、相席スタート、ケイちゃんの「ちょうどいいブス」というフレーズが花王の宣伝に使われて炎上したらしい。
前にも書いたけど、人が努力でどうこうできない事を蔑むのは違う、というのは本当にそうだと思う。
思うんだけど、みんなの頭には歴然と「あの人かわいい」「あの人はそうでもない」という美醜の価値観があり、普通に日本で生まれ育った人達の中ではある程度共通している。
私に関して言うと、相席スタートのケイちゃんを、本当にブスだとは思っておらず、しかもケイちゃんは、常に自信満々の語り口なので「ちょうどいいブス」ネタに笑えたのだけど、アインシュタインの稲田くんを初めて見た時は、正直びっくりして固まってしまった。
全く笑えなかった。
笑っていいのかがわからなかった。
しかしあれから何年か経った今はケラケラ笑ってる。
稲田くんの顔は、やはり平均的日本人とあまりにも違う。
で、笑えなかった私は、どこかで「可愛そうに」と見下していたんだろう。だから居心地が悪くなったんだと思う。
そこで「もう見ない」という手もあった。
でもやはり、それが一番違うと思ったのだ。
現実として存在してるのになかったみたいに対するのが一番違うと思った。
稲田くんは本当に面白い。顔いじりとか全くなくても面白い。でもそれがみんなにわかるまではどうしても必要なんだと思う。
ただ一般論として「美醜をどうこう言うネタは差別的なのでやめるべし」という流れもわかる。
男女コンビはネタも限られてくるし、ケイちゃんの「容姿がイマイチでも工夫してモテるようにする」というネタは、他の男女コンビには見られない、彼女たち独特のネタで面白いと思うのだけど、これを機にちょっと違う趣向のネタも見られたら嬉しいなとは思う。
でも「自信満々」で語るケイちゃんのスタンスは、何のネタをするにしても決して変えないでほしい。
私はケイちゃんの、堂々として格好良いところが好きなのです。
新アンガールズて。
本家アンガールズが可愛そうやけど、最初聞いた時は笑ってしまった。
しかし山根氏、どうしてあんなに自分に酔えるんだろうか。
実際どっぷり極道やったのにね。
「男山根明、自ら認めます」って、最初は誤魔化してたくせによく言うよ。
新アンガールズの二人には苦言を呈してくれる人がいないらしい。
そりゃそうだ、極道の過去を知ってたら怖くて何も言えまい。
普通は周りから人が去って行くが、残ってた人もいて、残ってた人達は、彼らの権威をチラつかせて、彼らを「皇帝」さながら祭り上げて、甘い汁を吸ってたんだろうな。
要はスネ夫。
スネ夫が一番タチが悪い。
なぜならスネ夫には信念がないからだ。
マリーアントワネットから散々甘い汁を吸いながら、革命になるととっとと逃げたポリニャック夫人のように、今、新アンガールズの周りからどんどん人が逃げていってるんだろうな。
しかし、逃げた先の人は彼らをどう思うだろうか。
大きな悪役の陰でなかなか可視化されない存在ではあるが、近くにはびこる「ポリニャック夫人」のことは、私は、ちゃんと、覚えてるのであった。
女性差別
東京医大の不正が明らかになるまでもなく、女性差別は歴然として、ある。
たまにネット等で「女性専用車両は男性差別だ」などと言う人を見るが、ちゃんちゃらおかしい。
じゃあこの日本で今すぐ男女の立場を入れ替えてみよっか?
男性車両、全然OK🙆♂️
日本では、家事育児は8割以上女性の負担だから8割男性にやってもらって、女性がどんどん働きに出たら、今まで既婚女性は家事や子どもの事でなかなか残業や出張もできなかったけど、な〜んの心配もなく出張や残業できるね!
帰ったら子どもは寝てるし、ご飯はできてるし、家事はあらかた終わってるし、最高!!
国会議員も大臣も、会社社長も役員も、9割は女性になるね。
随分女性が生きやすくなるだろうな。
今回の東京医大の件で、女性に実力がないから社会の上層に女性がいないのではなく、男性が下駄を履かせてもらい、女性が足を引っ張られていたからだと、よりはっきりと可視化された。
そうやって社会の上層部にしがみついて、女性を理不尽に蹴落としてきた高齢男性に問いたい、幸せですか?
多分、地位やお金がなければ誰も相手にしないでしょう。
やった方は覚えてないけど、やられた方は忘れない。
私も、女性というだけで何度忸怩たる思いをした事か。一生忘れない。
女性を下に置いてきた男性方、地位も名誉も若さもなくなった時、どうなると思いますか。うすうす感じているでしょう?
なら、今からでも変わりましょうよ。
女性を自分と同じ「人間」として対してくれたらいいんです。
ただただ、それだけです。
カーネーション感想⑦
戦争では誰もが傷ついた。
糸子も大きな痛手を負った。
しかし大勢の家族や従業員を抱え、糊口をしのぐために、後ろを振り向いてメソメソしてる暇はなかった。
そんな中で出会った周防。
彼は長崎で被災し、原爆後遺症を抱えているという妻と、子を連れて、命からがら逃げてきたという。
二人が恋に落ちたのは終戦後3年ほど経った頃。
ようやっと一息つけた頃。
この二人とてこの恋が道ならぬ物だとわかっていて、どうしようもなかったんだろう。
しかし、私は結婚しているからか、こんな時、全く描かれていない周防の妻に思いを馳せてしまう。
足手まといになっている事で、一番傷ついてるのは妻だろう。
そんな自分を抱えて、慣れない土地で奮闘する夫。
糸子のところで働くのは自分のためでもあると思うと、何も言えず、ただ忸怩たる思いを抱えて日々生きてるのではないか。
戦争がなければ、長崎に原爆が投下されなければ、彼女は、もし夫の不貞があったとしても、体が自由に動く分、もっと柔軟に、能動的に生きられたはず。
戦争はあまりにもたくさんの人を傷つけすぎた。
このドラマは、戦闘や爆撃の描写は全くないまま、この事実をぐっと心に迫らせる。
脚本や演出の素晴らしさを実感するとともに、73年前のこの日に広島でおきてしまった惨禍を、改めて心に刻み続けたいと思う。