カーネーション感想⑤
「俺には糸やんに会う資格はないんや」
「でももうそれも終わりや」
なんて悲しい言葉なのか。
勘助は糸子に会わずに出征し、もう帰ることはなかった。
勘助は気が弱くて頼りなくて、団子をコソ泥するようなズルもし、最初に勤務した工場も続かなくて、ダンスホールの踊り子にうつつをぬかして、母にさんざん心配をかけて…と、大工方としてだんじりの上に上がれる力量を持った兄と比べれば「ダメな弟」だった。
でも小さい頃のコソ泥を詫び、団子屋のおじいさんに請われて団子屋の店員におさまってからは、ささやかな幸せの日々を送っていた。
今度は逆に、子ども達に団子をコソ泥されたりしながらも。
糸子のように叩かれても叩かれても立ち上がる強さや根性も、糸子の洋裁のような特技や秀でた才能や情熱もなかった。
あの時代、女だてらにバリバリ働く糸子が「変わった人」であったのと同じように、勘助のように意欲も甲斐性もない男性は生きにくかっただろう。
でも、そういう男性だったからこそ、糸子と長く続く親友になれたのではないか。
「糸やんに会う資格はない」
そんな事は決してないのに、そんな悲しい言葉を勘助に吐かせてしまったものの正体はなんなのか。
「同調圧力」だと思う。
男はこうあるべき、女はこうあるべきという同調圧力は今も残っているが、戦争中は極度に強まってたのではないか。
勘助の母が雨に濡れながら、泣きながら叫んだように、糸子みたいに跳ね返せる強さを持った人間ばかりではないのだ。
そしてそういう人間が必要でないという事は決してない。
勘助は出征する時、糸子には声を掛けられなかったのに、糸子の妹には自分の思いを語った。
仕事では失敗ばかりして、糸子にも叱られてばかりの「できない」妹。
でも彼女だからこそ、勘助は束の間心を開いたのだ。
「できない人」しかできない事が、実は世の中にいっぱいあるんだと思う。
色んな人が色んな生き方をできるようになってきた世の中は本当に有難い。
この流れにどうか暗雲が立ち込めませんように。
ずっとずっと「勘助」が、のびのび生きられる世の中でありますように。